スポーツにまつわる感動の話

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観戦していて感動することも多くあるスポーツですが、その裏にはさらに心にぐっとくる話が隠されているケースが珍しくありません。オリンピックやサッカーのワールドカップの裏側に隠されたエピソードや偉大な選手の逸話など、あなたの知らない深い世界がそこにはあります。

プレーを見て、試合後のインタビューを見るぐらいでは、選手の人柄はなかなか伝わってきません。より深く感動したり、ファンになったりするためにも、新しい一面を垣間見てはいかがでしょうか。

オリンピックの感動の話

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4年に1度のスポーツの祭典、オリンピックは見ている者に勇気を与えるだけではなく、様々なエピソードの宝庫でもあります。

1956年のメルボルンオリンピックのボート競技で金メダルを取ったソ連のイワノフ選手は、感動のあまりメダルを投げたものの、それが自分の元に戻らず、湖に落ちてしまうという悲劇に見舞われました。飛び込んで探しても見つからず、落ち込んでいたイワノフ選手には、IOCは後に金メダルを再度贈ったそうです。それに奮起し、1960年の東京オリンピックと1964年のメキシコシティオリンピックでもメダルを獲得しました。

中田英寿の感動の話

日本のサッカー界に大きな足跡を残した中田英寿選手ですが、彼はマスコミ嫌いで有名でした。しかし、すべての人をやみくもに遠ざけていたわけではないようです。それをうかがわせる逸話が、フランスワールドカップを直前に控えた時期に残っています。

ワールドカップの本番を控えて、キャンプを張っていた当時、近くに住む一家と仲良くなり、彼らは中田英寿がフランスワールドカップに出場するとは予想もせずに送り出したところ、試合に出場して初めて知ったと言います。

まだ海外移籍を経験する以前から、こうした自然な交流を図れていたところに、中田英寿が引退後に各国を渡り歩きながらコミュニケーションを取っていった下地が伺えます。現在では、イタリア語や英語が使えるだけではなく、フランス語やスペイン語、ポルトガル語でも簡単か話ならできるそうです。サッカーだけにこだわっていたわけではないことは明らかで、税理士の勉強をしたり、ファッションセンスも注目されるなど、現役の頃から特異なスポーツ選手でした。

中村俊輔の感動の話

中田英寿と並ぶ日本サッカー界のビッグネームといえば中村俊輔選手でしょう。華麗なプレースタイルは天才と称され、イタリアやスコットランド、スペインのリーグでも活躍しました。

幼い頃よりテクニックには定評があったものの、ジュニアユースからユースへの昇格はかなわず、やむなく高校のサッカー部でのプレーを余儀なくされました。この時代には、体の小ささや個人プレーへの偏重が目立っていたと言います。

しかし、中村俊輔は天才という評判には似合わない努力の人で、誰よりも練習時間が長かったそうです。才能だけに恵まれていたのではなく、努力によって運命を切り開いた彼に応えるように、高校入学後には身長が15センチ以上伸び、体格でもプロのサッカー選手として通用するようになっています。

控え目な性格ながらサッカーに対する真摯で純粋な姿勢には疑うべくもなく、トルシエ監督時代には代表落ちを経験して日韓ワールドカップの出場を逃すといった悲劇に見舞われながらもスポーツに打ち込む姿は、見るものを感動させずにはいられません。

辰吉丈一郎のエピソード

「人志松本の○○な話」でダウンタウンの松本人志さんが語っていたところによると、辰吉丈一郎の調子の良し悪しを判断する目印として、肩の毛があるそうです。力強く一本の毛が肩から生えている時には体の切れがよく、反対にそれがないと厳しいそうです。

そのため、敗戦を振り返ると毛が生えておらず、記録を残した時には生えているという話です。スポーツ選手のゲンかつぎは色々なものがあり、ラインを超える時には必ず右足からにしたり、靴を履く時には左足からにするといったものが代表的です。

ただし、肩の毛に関しては辰吉丈一郎選手もコントロールできず、絶好調を自負していたのに、試合直前になって抜けていると気付いたケースもあったそうです。

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